MIDEM2004

スタンド

MPA創立30周年記念事業の一環として行った2004年のジャパン・スタンドは、’91年のスタンド初出展当時同様に白と赤の配色に戻し、日本と日本の音楽を海外に向けて強くアピールしました。大型モニターでのビデオ上映、CD試聴のほか、DVDの頒布、Japanimation Music Presentationと、Live Showcaseという二つの新たな方法で、日本の楽曲をPRしました。

参加楽曲

配布したCDのジャケット
配布したCDのジャケット

MPAは毎年ジャパン・スタンドでMPA会員社から募った楽曲を、スタンドのプラズマビジョンでの上映及びCD試聴機等でPRしています。
2004年は、各楽曲のプロモーションビデオを納めたDVDを制作し、スタンド来訪者に配布しました。

カンファレンス

MIDEM2004 Panel Discussion

Presented by
Music Publishers Association of Japan
& Reed Midem Organisation
26 Jan.2004,14:30-16:00
(at Auditorium K / Palais des Festivals / Cannes / France)

イントロダクション

夢をかなえてくれる国、アメリカ

アブラモフ:
司会のアブラモフ氏
司会のアブラモフ氏

私は日本に生まれ育ち、教育も日本で受けました。30年以上にわたって日本の音楽業界に従事してきました。現在は東京でAIAインターナショナルというエンタテインメント産業関連のコンサルティング・事業開発の会社をやっています。今日は「How to Succeed in the USA」というタイトルのもと、パネル・ディスカッションの司会を務めさせていただき、光栄です。特に我々のように非英語圏で育った者にとって、アメリカという国には、“夢をかなえてくれる国”というイメージが常にあります。そして、その夢こそが、ミュージック・ビジネスに従事している我々の原動力です。アーティストにとっては、さらに、その“夢”の意味は大きいに違いありません。

非英語圏の多くのアーティストたちには、自国でいかに大成功を収めようと、それが最終ゴールではないのではないでしょうか。アメリカに進出し、自分のレコードがビルボードのチャートを飾り、そしていつの日かマディソン・スクエア・ガーデンやカーネギー・ホールなどの有名コンサート・ホールでプレイすることを夢見るでしょう。アメリカのミュージック・シーンに自分の足跡を残すことができたら…それができて初めて、多くのアーティストは心から自分の音楽で大成功したという実感を手にすることができるのでしょう。

言うまでもありませんが、ビルボードにチャート・インするとか、マディソンやカーネギー・ホールなどでコンサートを開くというような夢は、アメリカ、イギリスのアーティスト達も同じように心に描く夢です。しかし、地理的にも文化的にも遠く離れた米英以外の国のアーティストにとっては、それがさらに大きな夢だろうことは疑いもありません。ことわざどおり、隣の芝生は青く見えるものです。

さて、今日の話のテーマは、非英語圏のアーティストがアメリカで成功するにはどうしたら良いか?ということです。私は、皆さんに、これが「確かな答え」と言えるものをお見せできるとは思いませんが、少なくとも、皆さんのアーティストが夢を実現しようと米国のマーケットにアプローチする時に役に立つだろうヒントを提供できればと思っています。

アメリカの音楽ビジネスを熟知する人々

アブラモフ:

今日のパネルに参加していただくパネリストの方々は、アメリカのミュージック・ビジネスを熟知なさっている皆さんです。このテーマを話し合うのに、これ以上ぴったりのメンバーはいないでしょう。では、ご紹介いたします。

私の左隣から、ロサンゼルスのコンサルタント会社、サウンド・インプット社の社長、ローラ・コーエンさんです。

ローラさんの次がテッド・コーエンさん。お察しと思いますが、ローラさんのご主人です。現在、アメリカEMIミュージックD3の上級副社長です。

シェリルさんの次は、PBS(パブリック・ブロードキャスティング・サービス)の番組編成担当副社長であるグスタヴォ・サガステュームさんです。

最後に、グスタヴォさんのお隣がヘリーン・グリースさん。シェリルさんと同じPRエージェンシーのニューヨーク支社から来ていただきました。

ディスカッションを始める前に、皆さんにマーケットの全体像を知っていただくために、ローラさんから全米市場の概況を説明していただきたいと思います。ローラさん、お願いします。

アメリカ音楽市場の全体像

違法コピーによる市場打撃

ローラ:
ローラ・コーエンさん
サウンド・インプット社
社長ローラ・コーエンさん

皆さま、こんにちは。では、2004年1月現在の米国音楽産業の現況を説明させていただきます。

まず、厳しい時代と言えます。有形プロダクト(CDなど物的製品)のセールスは大きく落込んでいます。デジタル・プロダクトについては、やっと成長が始まってきたというところです。違法コピーなどの海賊行為が多数あります。多くの人がKaZaAを利用し、音楽録音物を盗んでいるというわけです。
ラジオ局が統合されたため放送楽曲が減らされ、エアプレイを確保することがさらに難しくなっています。今は特に吸収合併が多く、ソニーとBMGのようにレコード会社の統合も進んでおり、レイオフが増えている状況です。

1999年から2002年にかけて、CDセールスが年10%、あるいはそれ以上の割合で下がりました。消費者がお金を使いたいものが他にたくさんあったのです。ゲームとかDVDなどです。そして、音楽を無料で入手する手段ができて、お金は、ただでは入手できないものだけに使うという風潮になっています。

このような状況ですが、2003年の売上予想額がこの2~3日前に発表され、上期は9~10%の減少だったのですが、年末前の期間にかなり持ち直したことがわか り、2003年通年では、わずか2%程度の減少ですむ様相になりました。

各社レーベルは、このようなマーケットの低迷に反応せざるをえません。経費節減、人員削減に迫られ、また、i-TunesやNapsterのような新規事業に収入源を見出そうとしています。もちろん、経営的に他の方策も考えなくてはなりません。

例えば、合併、売却、縮小などです。先程も言いましたが、ソニーとBMGは合併が決りました。ワーナー・ミュージックは、最近、エドガー・ブロンフマン氏率いる投資家グループに売却されました。EMIは、何年も前から様々な会社と合併交渉をしています。その辺は、今回は触れません。

合法ダウンロードサービスの出現

ローラ:

今、我々の一番の敵は違法(海賊)行為です。もちろん、これは米国に限らず、世界中の業界が直面している問題です。
現在、米国では、数百曲、時には数千曲もの音楽をオンラインでファイル交換している悪質な消費者を告訴し、この問題に立ち向かっています。法改正もありました。昨年末、RIAA(全米レコード協会)が提訴手続を進めていたのですが、Horizonなどプロバイダーのどこで調べても、ファイル交換で楽曲を他人にあげている個人名を特定することはできないことがわかりました。そこで、氏名不詳のままで訴えざるを得なくなりました。それで少し面倒なことになってしまったのですが、このまま訴訟は続行されます。さらに、RIAAは、最近、新たに500名以上の個人を告訴しました。

以前とは状況が違ってきたと思うのは、ネット上から音楽を入手できるのが違法サイトだけではなくなったことです。i-Tunesなど、相当の曲数を持つ合法サービスが出現しています。そうそうたる顔ぶれの楽曲リストから好きなジャンルの曲を見つけることができるという、すばらしい機会を提供しています。メジャーからインディーズまでそろっています。合法ネットショップでも、曲をコンピュータに取込むだけでなく、CDや携帯機器に落とすことができます。本当にたくさんあります。

さらに、DVDオーディオ、SACD(スーパーオーディオCD)など、まだ定着していませんが、新しい規格が新たな収入源となってくれる可能性があります。音楽業界は非常に大きな変革の時を迎えています。ですが、収益を上げる方法については、今のところ、将来に向けてのビジョンが何一つまとまっていない状態です。ダウンロード・ビジネスなど、新型流通ルートを増やすことがひとつあります。同時に、有形プロダクトをやめ、著作権法改正の方向に向かうだろうと予測できます。

ラジオの衰退

ローラ:

それから、特に米国では、ラジオが新曲情報を得るメディアではなくなってきたことを認識しなくてはなりません。ラジオと音楽制作側の間のつながりが切れたということは、つまり、レーベルは様々なやり方で新譜のプロモート法を模索しなくてはならなくなったことを意味します。オンラインなどにチャンスは多数あると思います。これについては、後ほど詳しく触れたいと思います。

ファイル交換が人気を得た要員

ローラ:

シングルは、現在、マーケットの1%を占めるにすぎません。ですが、だんだんチャンスが増えているので、成長が期待できます。過去20年位の間、レコード産業は、シングルの存在を基本的にだめにしてしまいました。消費者が1曲だけ買いたくても買いにくい状況を作ってしまいました。ファイル交換が人気を得た要因のひとつはそこにあると思います。

CD全曲なんか欲しくない、でも、シングルを買えないならば、どのようにして欲しい1曲を手に入れるのか?答えは簡単です。インターネットなら無料で入手できるのです。なぜファイル交換に興味を持つかという理由は、単に“ただだから”ということだけでなく、あるアーティストの曲をCD全曲ではなく、個別に、1曲、あるいは2、3曲だけ欲しいから、ということもあるのです。ネット配信業界は、楽曲、主にmp3の電子配信により、特定の楽曲だけを入手できるという、非常に魅力的で効率的な流通形態を作りました。それが“ただ”というのですから、皆さん、一体どうしたら対抗できるでしょうか?

アメリカCD市場の動向

ローラ:

2003年度の数字はまだ確定的ではないので、前年度の数字をお見せしている箇所もあります。黄色の部分は、2001年と2002年のディスクとテープの総売上です。枚数で11.1%、金額で9.4%の減少です。2002年上半期は、先ほども言いましたが、CDセールスはすでに9.8%減少していたので、通年で2%減という結果は、年末前に大きな変化があったことが伺われます。

さて、ここに2002年から2003年にかけての資料があります。有形プロダクトのセールスは、2000年の10億6100万枚から2002年の8億4500万枚にまで落ちています。2年間で20%以上もの売上減という状況です。2002年の全米CD売上高は、わずか2年前の業績に比べ2億1600万枚も減ってしまったわけです。今は持ち返していますが、それまでは、売上減少はますます加速する傾向にありました。

種類別に見ますと、出庫数は全カテゴリーで減少していますが、かろうじて2002年のDVDオーディオのみ、増加を示しました。しかし、2003年上期を見ると、DVDオーディオは、対前年比50%近くも落ち、10万枚となっています。これは、新しいフォーマットの商品としては、ちょっとまずい兆候といえます。

新しいフォーマットの動き

ローラ:

最も急降下したのは、2001年に対する2002年の数字です。これは古い数字です。やはり、シングルのセールスが落ち込んでいます。これらの曲はシングル、ビデオ、CD、カセットで発売されました。当然、これらの売上が落ち込んだ主な理由は、インターネット上に無料の音楽が出現したことです。この頃はCDのセールスも落ちています。

DVDオーディオは、2001年に対する2002年の実績で伸びを見せましたが、今、言ったように、下がってきているようです。ここにある数字にはまだそれが表れていないので、この情報はちょっと古いものになってしまいました。2002年の時点でも、小売からはあまり良い動きが報告されず、最新テクノロジーの商品としては、悪い前兆となっています。

米国では、DVDオーディオの売上は1タイトル平均1000枚未満程度であり、SACDはサウンドスキャンの調査対象になっていません。この数字も古い情報です。今は、たぶん200万前後だと思います。SACDのセールスを判断するのは難しいところがあります。ハイブリッド(複合型)ディスクで、普通のオーディオCDでもあるので、買った人が果たしてSACDプレーヤーで聴いているのか、普通のCDプレーヤーで聴いているのか分からず、人気の度合いは追跡しにくいのです。

技術面と法律面で問題

ローラ:

次は、2003年のアルバム売上トップ10です。米国で最近最も人気のあるアーティストのタイプがわかると思います。エミネムと同じレーベルの50セント。ノラ・ジョーンズのCome Away With Me。カントリーでは、シャナイア・トウェイン、デキシー・チックス。ロックのアヴリル・ラヴィーン、リンキン・パーク。8マイルのサウンドトラック。もちろん、エミネム、エヴァネセンスはよくがんばりました。ティム・マグローガンはカントリーです。それから、クリスティーナ・アギレラ。

CCCD(コピーコントロールCD)については、今のところ何の動きもありません。技術面と法律面での問題がありました。消費者側には、「今まで、自分が買ったCDの音楽を自分のしたいようにしてきたし、これからも同じようにしたい」という期待があります。車の中やコンピュータでは聴くことができないようなCDを買ってしまったとしたら、レコード会社を訴えかねません。ありとあらゆる苦情が舞込むなど、トラブルになるでしょう。レコード産業には、その辺の解決策がまだ見つかっていません。

i-Tunesで3000万曲の実績

ローラ:

2003年は、米国内で3000万件のデジタル配信実績があり、消費者が本格的にオンラインで音楽を買い始めた年といえます。実は、3000万という数字は、iTunesのみの実績です。この土曜日に発表されたばかりです。Real NetworksのRhapsody、11月に合法サービスを始めたNapsterなど、今や適法ダウンロードの選択肢は広がりました。2003年夏までに、デジタルの売上は有形シングルを上回り、差を広げつつあります。額としては小さなものですが、この変化の意義は大きいものです。

5大メジャーの概況 – 売却、合併でレコード業界再編の波

ローラ:

次に、各社の概況を見ましょう。当然、5大メジャーは全世界共通です。ということは、これからの報告は、国際的にまたがる面も多くなります。なるべく米国マーケットのみに照準をあわせるようにしますが。

全般的な情報からまいります。ソニーはBMGと合併し、年間の総売上は60億ドル近くに達すると見られます。ワーナー・ミュージック・グループは26億ドルで売却されました。ユニバーサルは、2003年に音楽以外のエンタテインメント部門を売却しましたが、音楽部門も売却を考えているのではないかと憶測されています。つい最近、ドリームワークス・レコードを1億ドルで買収しました。2003年末現在、会社の所有権の移動が見込まれていないのはEMIのみです。

ユニバーサル・ミュージック・グループの主要役員では、アイランド・デフジャム社長のリオ・コーエン氏はワーナーへ移るという発表をしました。また、人件費を2億ドル削減する予定です。
ワーナー・ミュージックはロックが強いですね。人件費と関連経費合わせて、2億ドル削減を予定しています。それは、投資家グループ、ブロンフマン・グループへの売却を発表する前の話です。昨年、ディスク製造工場を10億ドルで売却し、流通販売会社をロスからニューヨークに移しました。

次はBMGです。ソニー・BMGの合併の最新情報では、会長がBMG、社長がソニーから来るようで、どうやらBMGが優位に立っているようです。

ソニー内部は明らかに激しく動いているようです。BMGとの合併が進んでいます。前社長のトミー・モットーラ氏は降板し、大規模な合理化に迫られています。彼はお金を使いすぎたようです。昨年、後任として来たアンドリュー・ラック氏にずいぶん大変な仕事を残していったようです。ラック氏は、全世界で千以上の職を削減し、アーティストも減らし、経営合理化を進めています。合併後の新会社では、BMGから来る会長のもとで、CEOに就任する予定です。そういった混乱にもかかわらず、コロンビア・レーベルは昨年のマーケット・シェアでがんばりを見せ、トップ・レーベルの座を持ちこたえました

EMIは、噂では、アラン・レヴィ会長は昨年20%の人員削減を行ったそうです。私の夫がその中に入ってなくてほっとしています(笑)。解雇者数は2000名近くにのぼり、現在、収益は黒字に転じました。音楽会社として最大のEMIは、純粋なレコード会社として稼動している唯一の会社です。長いこと続いていますが、独禁法関連の思案が大変になっています。

アメリカにおけるファイル交換の実態

ローラ:

無断CD書込み防止について、少しお話します。これは、米国市場でのファイル交換の実態調査です。1年前の時点で、12歳以上の国民の19%がファイル交換を利用したことがあります。私は、今は、さらに増えていると思います。もちろん、その後、利用しなくなった人もいるでしょうが。12~17歳の52%がピア・トゥ・ピアを利用したことがあります。CDを買って録音するのではなく、書込みをしてコピーするのは、ファイル交換利用者の42%に上り、国民全体では12%となっています。つまり、友達からCDを借りるか、または買ってきて、コピーを作り、売るわけです。CD書込み用機器を持っているのは、ファイル交換利用者が59%、国民全体では25%です。

ファイル交換など、インターネットで音楽を入手している人は、CD書込み用機器を持っている可能性が高く、自分でコピーを作れるわけです。

ここに十億単位の数字がありますが、ブランクCDは北米だけで年間20億枚売れており、さらに爆発的に増えています。RIAAは違法コピー(海賊行為)問題に立ち向かってきました。AimsterやAudio Galaxy他、いくつかの違法サイトを閉鎖させました。もちろん、何件かを訴訟に持込み、しばらくの間はそのインパクトがありましたが、長期的にその効果が持続するかどうかとなると確かではありません。

アメリカで活動を始めるには

いまこそチャンス

アブラモフ:

どうもありがとうございます、ローラさん。皆さん、米国マーケットの現況をよく理解できたと思います。

まず、アメリカでアーティスト活動を始めたいと思っている非英語圏のアーティストには、どのような心構えでいて欲しいと思いますか?当然、やる気と、アメリカで成功したいという意志が必要ですね。それから、おそらく、全く違う環境で仕事をすることが求められるでしょう。アメリカの仕事のやり方や倫理観は、アーティストの母国とは違っているかもしれない。さらに、仕事の条件も違うのではないでしょうか。自国ではリムジンで送り迎えしてもらっていたのが、アメリカでは自分でバスに乗り、仕事に行かなくてはならないということもあるかもしれません。

さて、テッドさん、違う環境で働くということについて、アーティストはどんな心の準備しておかなくてはいけないでしょうか?

テッド:
テッド・コーエン氏
アメリカEMIミュージックD3
上級副社長
テッド・コーエン氏

はい、順応性が必要です。わが社にはいろいろな国のアーティストがツアーでたくさん来ます。彼らはそれぞれ自分の期待値を持って来ます。ロビー・ウィリアムズが良い例です。

世界的に最も有名なアーティストの一人であるイギリスのビッグ・アーティストですが、当時、アメリカでは、町を歩いても殆どの人は彼を知りませんでした。自分の期待感、予想を自分でうまくコントロールし、できる限り最高のパフォーマンスを見せることが必要でしょう。

EMIでニューメディアを担当する前、私はワーナーでアーティスト開発を担当していて、たくさんのアーティストを育てることに携わっていました。日本からプラスティクッスというグループが来て、ツアーで好評を博しました。最高のグループでしたよ。

アブラモフ:

それで、彼らはいろいろなことが違っているということに対して、何か準備が必要でしたか?

テッド:

作品を調整すること、自分の期待値を調整することです。今の時代の良い点は、デジタル・ミュージックの消費者が新しい音楽を強く求めていることです。そのことは同時に、先ほど話に上っていたMusic Net、Napster、i-Tunesなどがコンテンツを非常に求めているという事実に繋がります。彼らは、ライバルのネットショップと違う個性を持ちたいと思っているので、今こそ、世界の音楽を消費者の前に提示するにはまたとない大きなチャンスなのです。

かつてないほどドアは広く開かれています。以前だったら、米国に来て、タワー・レコードで「私たちは1000タイトルも持っています。こちらの店に置いてくれますか?」と持込んでも、置いてもらえる可能性は非常に少なかったでしょう。ところが、デジタルの世界では、無限に棚スペースはあるわけで、サイトには地域的な音楽のコーナーが必ずあります。インターネット・ラジオで音をかけてもらうチャンスは非常に大きいです。

英語は話せる方が有利だが絶対ではない

アブラモフ:

とても興味深いですね。私は日本から来ていますので、例として日本のアーティストだったらどうか、ということでお話を伺いたいと思います。アーティストをアメリカでブレイクさせたいとします。ローラさん、基本的な質問ですが、英語を話せることは必要ですか?

ローラ:

インタビューや、実際に人前に出る段階に至る前でもミーティングなどがありますので、そういう場面で英語が話せないと難しいでしょうね。

アブラモフ:

では、少なくとも記者会見やインタビューなどでは、通訳なしでできないといけないわけですね。

テッド:

恐れながら、異論がございます。高中正義が数週間前に来たのですが、記者会見は大丈夫でした。ケースによって違うのでは…。

アブラモフ:

音楽が語る、というようなことも…?

テッド:

そういう場合もあります。もし、音楽そのものが何かを語っていれば、それでOK、というような。

ヘリーン:
ヘリーン・グリース氏
イースト・ウェスト・メディア社
ニューヨーク支社
ヘリーン・グリース氏

私から少し付け加えさせてください。シェリルと私の仕事は広報です。インタビューや記者会見のセッティングをします。もし、アーティストが英語を話せれば、それは明らかに有利ですが、絶対必要というわけではありません。音楽の種類にもよります。ワールド・ミュージックでしたら、違う言葉をしゃべるだろうとの推測が初めからあります。少なくとも、外国語ということが音楽の一部であるような。

ベルギーのザップ・ママというグループのアメリカでのパブリシティーを担当したことがありますが、リード・シンガーのマリーは英語が本当に片言しかできませんでしたが、彼らはすごくヒットしました。ですが、確かに、英語をしゃべれる方が圧倒的に有利だということは言えます。

シェリル:
シェリル・フューアースタイン氏
イースト・ウェスト・メディア社
パートナー
シェリル・フューアースタイン氏

その通りです。TVやラジオをはじめ、多くのプロモート先から英語を話せるかどうか聞かれますので。アーティストはたいがい「イエス」と答えますが、実際に米国に来てみると、本当はちっとも上手ではなかったりします。ちゃんと分かっていないのですね。

ソビエトで大人気だったライマというアーティストを担当したことがありますが、英語はあまりしゃべれませんでした。アーティストとして本当に魅力的な、才能豊かな人でしたが、米国進出という目的のためには、それがネックになってしまいました。

アブラモフ:

では、歌を英語で歌う必要がありますか?

シェリル:

いいえ。

アブラモフ:

では、自国の言葉で歌えば良いわけですね?

シェリル:

ええ。でも、コミュニケーションができるというのは確かにプラスです。

アブラモフ:

自国ですでに成功していることは必要条件になりますか?

グスタヴォ:
グスタヴォ・サガステューム氏
BS番組編成担当副社長
グスタヴォ・サガステューム氏

必ずしもそうとはいえません。こんな例がありました。先ほど、皆さんが見たビデオにも登場しましたが、オランダのアンドレ・リューという指揮者兼バイオリニストです。彼はオランダではそれほど大成功というわけではなかったのですが、アメリカの聴衆の心を捉えました。ヨーロッパでは、ちょっと商業的過ぎる、派手すぎるという評判でした。でも、米国にはそれがぴったりだったんです。それで、彼は非常に多くの聴衆を魅了し、現在ではほとんどのレコードがアメリカでは売れています。

バックアップのネットワークは重要

アブラモフ:

では、アーティストは、日本でレコード会社と契約がある方が良いですか、それともそれはあまり重要ではない?

テッド:

何かしら、財政的にバックアップしてくれるネットワークがないといけないでしょう。こちらに来ようという時、こちらのレーベルを探しに来るとか、ツアーで来ることも可能でしょう。

数年前、私はエコー・アンド・バニーメンというバンドをマネジしていました。彼らはワーナー・ブラザーズの契約が切れたところでした。レーベルが決らないまま、40ヵ所を回るツアーをしてファンを確保したので、その後もたくさんコンサートをして生き残りました。

アメリカが初めてというアーティストで、こちらの活動基盤がまだできていない場合は、あれこれうまく運ぶためには十分な資金が必要です。

アブラモフ:

アーティストのビジュアル面ですが、米国マーケット向けに、より良くするには、どんなことをしたら良いでしょう?自分の文化的背景を残すというのはどうでしょう?有利に働きますか?それとも、完全に西欧化した外見の方が良いでしょうか?

ローラ:

アメリカ向けに特に外見を変えるべきだとは、全く思いません。私は、このマーケットでは他の人とコミュニケーションができるということが大事だと思います。でも、民族性というのは、確かに付加価値になるだろうと思います。ユニークな感じを与えますし、イメージとしてそこを強調することもひとつ有り得ると思います。

民族性はそれだけで付加価値

グスタヴォ:

その通りだと思いますよ。特に、ワールド・ミュージックのジャンルではそうでしょう。喜多郎がその良い例です。彼の音楽が異国的であり、違う国のアーティストだということが、人々にとっては魅力のひとつなんです。

ローラ:

同じことが松井慶子にも言えますね。

アブラモフ:

ああ、ジャズのアーティストですね。ヘレンさん、何かご意見は?

ヘリーン:

全く賛成です。アーティストが今まで築いてきたルックスをしっかり守ったほうが有利だと思います。そこが、彼を他のアメリカのアーティストから区別する個性になります。

テッド:

私もその意見に賛成です。自分のやっていることを信じているならば、妥協することはありません。こちらに合わせるために妥協するなんて、絶対にすべきではありません。強烈な存在感を持っていれば、ただ自信を持って、自分が人からこう思ってもらいたいという自分を表現すればよいのです。

アブラモフ:

アーティストの文化は、そのまま残すということですね?

テッド:

そうです。強い説得力を持つことができます。

アブラモフ:

では、わざわざアメリカ向けに作ることは必要ないわけですね…。

器用さの裏にある無個性

テッド:

はい。外国から来るアーティストだろうが、国内から出てくるアーティストだろうが、同じことです。

名前は言いませんが、以前、とても才能のあるアーティストをマネジメントしたことがあります。ある日、彼女が私のところへ来て、「私は誰になったらいい?」と訊ねるのです。まいりました。彼女には「自分」が欠如していた…つまり、彼女はロックOK、ジャズOKで、どんなアーティストのコンサートでも歌っていたような器用な人でしたが、いざ、自分自身のレコードを出そうという段階になって、自分を出す感覚が分からなくなり、文字通り混乱してしまった。結局はだめでしたね。彼女には自分が情熱を傾けている特定の音楽というものがなかったからです。そういう情熱が必要なんですよ。

グスタヴォ:

ひとこと付け加えさせてもらうと、非常に大事なのは、アメリカでは自分がやりたい分野にしっかり焦点を合わせることです。他とはっきり区別がつくことが大事です。ヨーロッパのアーティストなり、アジアのアーティストが、例えばポップで行きたいというならば、ポップとワールド・ミュージックの両方を混ぜたりしてはいけません。現代は広く一般に受けることを目指すのは非常に難しくなってきているので、マーケットのニッチ(隙間)を狙うべきじゃないかなと思います。

最近の経験ですが、ノルウェーのすばらしいアーティストがいまして、名前はシセルといってノルウェーではとても有名です。彼女はどんなアーティストのようにもできるし、どのジャンルも好きなんですね。ポップはもちろんカントリーも少し、ニューウェイブやクラシックも少し、というふうでした。

私たちは、PBSで彼女を成功させるのにとても苦慮していました。どれでもこなしてしまうからです。そこで、私たちは彼女に、「あなたはクロスオーバー・クラシックをあなたの専門分野として中心において、そこに焦点を合わせなくてはいけませんよ」と言ったのです。アメリカのマーケットでは、そこが大事なところなのです。

メールを活用して応援者を増やす

ローラ:

テッドがさっき言っていたことに全く賛成です。ユニークなこと、オリジナルなことがとても大事です。今、流行っているバンド・ワゴンにポンと乗っかってしまう人がたくさんいますからね。でも、それは後からくっついていくだけの人たちですよ。何か新しいものを創造できる人ではありません。

アブラモフ:

シェリルさん、何かご意見は?

シェリル:

何年も前ですが、私があるレーベルで働いていたときに、ある売れっ子アーティストを担当していました。ヴィンス・ロッソです。彼をご存知の方も多いと思います。アメリカでは成功しませんでしたが、アルバムは全世界で2500万枚も売れました。彼はアメリカに来ていろいろな人に会い、その人たちの名前と住所を控えておいて、彼が行く世界のどこからでも葉書を送り続けてコンタクトを絶やさなかったのです。私は、彼のやり方は驚くほどすてきなことだったと思いますよ。

アメリカ作家とのコラボ

アブラモフ:

アメリカの作家とコラボレートするという考えはどうでしょうか?アーティストが曲や詞を書く場合ですが。

テッド: はい、それで彼らの個性が殺しあわなければ、いいと思います。言い換えると、もしそれが自分のスタイルの上に構築するものならば、すごくいいということです。この国のマーケットに合わせるために自分のスタイルを他のものに似せようとか、変えようとするものであったら、それはちょっと良くないと…。

今はラジオのエアプレイ確保がきつくなっているし、既存のポップやロックのアーティストにとって音楽が均質化、商業化しているので、他から目立たなくてはいけません。それで、先ほどからオリジナリティーとかユニークな個性ということを言っているわけです。それが今日のポイントです。最も大事なことです。

この国には自分の聴衆を獲得することを目指している人間はいくらでもいますが、その夢を実現するためには、その大勢から際立つこと、目立つことです。ブリトニー・スピアーズやクリスティーナ・アギレラのそっくりさんになっても仕方ないでしょう。すぐに忘れられてしまいます。ラジオを聴いていて、「これはクリス…?違うよ、それは確か…」なんていうことになってしまう。誰だか分からなくなってしまいますよね。

ヘリーン: ちょっと、よろしいですか?もしコラボレーションの組合わせが良く、そのアメリカのアーティストがビッグ・ネームで、メディアでも名の通った人ならば、絶対にキャンペーンの時に力になりますよ。作家活動だけでなく、デュエットでプレイすると良いですよ。1~2曲を米国の有名アーティストとデュエットとかコラボレーションができて、アルバムに収録すれば、必ずマーケットに入る推進力になります。有名看板と一緒に滑って来るようなものですね。そのことをひとこと申し上げたかったのです。
ローラ: 私の会社インプットでは、そういうチャンスをいつも探します。誰と一緒に仕事をしたか、誰か知り合いがいるか、今までの写真にはどんなものがあるか、などを見ています。そういった情報が役に立つからです。

コラボレーションの相乗効果

グスタヴォ: いい例がありますよ。ポール・サイモンとアフリカから来たアーティストです。コラボレーションが新しい風を運んでくれるのです。彼らはポール・サイモンとは全然違う音楽をやっていたのですが、両者が出会うことで本当に、別のものができあがる。むしろアメリカ側のアーティストの方がゲスト・パフォーマーのユニークな個性の影響を受け、そこから得るものがあり、自分達が強化されるのです。 アイルランドのパフォーマーが、よくそういう良い影響を米国に与えてくれます。米国にやってきて、有名アーティストと一緒にプレイして、自分達の名前をこのマーケットに売込むというやり方ですね。
ヘリーン: 私のところで、今、スウェーデンのESTというグループを担当していますが、ケイティー・ラングの前座として大きなツアーを終えたところです。これはまた別の形のコラボレーションですが、確かに力になりましたよ。彼らは、インストゥルメンタルのジャズ・グループで、普通とは違った方法でアメリカのマーケットで売出す助けになりました。まだ確定はしていませんが、アメリカのレーベルと契約ができそうです。というわけで、こういう形のコラボレーションも、売出すきっかけになります。

キーワードはユニークな個性

アブラモフ: どうやら「ユニークな個性」というのがキーワードのようですね。ユニークで他のアーティストとは違っていて目立つこと、特別な存在であることが求められているのですね。
ローラ: フリオ・イグレシアスがこの国へ来て、最初にインパクトを持ち始めた頃のことを何人の方が覚えているか分かりませんが、彼は、とにかく誰とでもデュエットをやっていました。ウィリー・ネルソンからダイアナ・ロスまで。その時はそうやって努力してラジオに出る機会を獲得したのです。

英語以外の言語で成功しやすい音楽

アブラモフ: 英語以外の言語で、米国で成功しやすいジャンルというのはあると思いますか?
テッド: 何といってもジャズとエレクトロニック・ダンス・ミュージックですね。そのふたつは圧倒的にチャンスがあります。
グスタヴォ: PBSの場合は、ワールド・ミュージックです。いろいろな国のアーティストがブレイクしやすいジャンルです。それから、クロスオーバー・クラシックも良いですね。アンドレア・ボチェリのような人たちが良い例です。ダンス・ミュージックのアフリカのグループがいました。珍しいケースでしたが、彼らは米国には来ませんでしたが、大ヒットを出しました。その理由は彼らのユニークな個性です。
シェリル: これらのジャンルすべてに共通していることは、インストゥルメンタルで言語が問題にならない場合、それと、オペラのように、あるいはワールド・ミュージックと言われる分野のように、外国語で歌われることがあたりまえと思われるジャンルです。
アブラモフ: 逆に、これはやめておいた方が良い、というジャンルはありますか?
テッド: それはないですね。
アブラモフ: ヒップホップはどうですか?
テッド: ヒップホップもOKです。いろいろなジャンルで表現の機会がたくさんあると思います。今はさらに大きなチャンスもあります。2~3年前だったら、外国から来たアーティストが、「すみません、僕のビデオをMTVで放送してくれませんか?」と頼みに行っても、答えはおそらく「ノー」だったと思います。ところが、今はあらゆる種類のビデオ・チャンネルがインターネット上にありますから、自分のビデオを露出してもらえます。2~3年前から米国でケーブルTV や衛星放送のオーディオ・サービスを営業しているミュージック・チョイスというところが、ビデオ・オン・デマンドのチャンネルを始めます。彼らはプログラムを探しています。ですから、もしあなたが良いビデオを持っていれば、ニューヨークのミュージック・チョイスが取り上げてくれるかもしれません。それから、タイム・ワーナーもビデオ・オン・デマンドを立ち上げます。ケーブルと衛星放送で3つか4つのビデオ・オン・デマンド・サービスが始まって、人気ビデオだけでなく、多くのビデオを放送するでしょう。いろいろなジャンルのいろいろなチャンネルに使われるでしょう。ジャンル別とか、特別な番組編成などです。ですから、もし私だったら、この機会に飛びつきますね。

プロモーションビデオは露出のチャンス

アブラモフ: では、プロモーション・キットを作るときは、ビデオが重要ですね?
テッド: そうです。
アブラモフ: それで、可能性が膨らむ・・・。
テッド: 出来次第ですが。例えば、こちらへ来て10都市を回るツアーをするとします。なにかインパクトのあるプロモートをしたい。そこで、ビデオがケーブルTVの入っている1億世帯に向けて放映されるとします。これは相当なインパクトになります。
アブラモフ: シェリルさんのご意見は?
シェリル: 私は、このところレコード産業にとっては困難な時代になっていますが、同時に、エキサイティングな時代なのだとも思うのです。なぜならば、今、やっていることはプロモートのやり方のモデルなのです。アーティストをどう探して、どうブレイクし、どう露出するかということが、日々、変わっています。新人アーティストをブレイクする新しい方法を常に模索しなくてはならないからです。みんながクリエイティブになり、みんなであらゆる新しいやり方を探しているわけです。なので、皆さんの側からもこのマーケットで活躍したいという意志を発信することが非常に大事なことだと思います。

ネットは一味違う音楽を求めている

テッド: 皆さんの中で、MIDEM-NETに参加した方はいらっしゃいますか?アップルのエディー・キュー氏の話を聞いたと思いますが、彼らはインディペンデントの音楽を求めています。彼らも同じように、他の音楽とは一味違う音楽を求めています。私がお勧めしたいのは、自分の音楽をi-Tunesへ、 Napsterへ、リアル・ネットワークスを通じてRhapsodyへ持ち込んでみてはどうか、ということです。

今言ったような会社からは毎日のように私のところに電話が来て、私の担当はデジタル・サービスですから、何か未発表の音源はないかと訊ねてきます。

EMIの場合は、私が世界中のレーベルのトップに連絡をとって、米国で未発表の、世界各地からの…日本とか、中国とか、いろいろな国の音楽を集めているところです。デジタルでの米国発売を考えており、うまくいけば有形プロダクトとしてのリリースにも繋がるかもしれません。

ですから…まあ、断言はできませんが、私はデジタルを担当して20年になりますが、今年はデジタルのあれこれがひとつになってくる年です。皆さんにとっては、アメリカへのCDの輸送やら、あるいはディストリビューション契約やらを心配する必要がなくなるような機会が訪れるわけです。以前は無理だったかもしれないマーケット参入が、今や、いくつかの道が可能になったのです。

ウィルスのように広がる

アブラモフ: ですが、売込もうとするアーティストのウェブサイトのことをどのようにして人々に知らせたらよいのでしょうか?インターネットでアーティストの音楽を聴いてもらい、姿を見てもらうには、どうしたら良いのでしょう?
テッド: 先ほども言いましたが、デジタル・ストリート・チームを作ることです。少数の熱狂的ファンを確保し、彼らにTシャツなどを送ってやる気を盛り上げ、チームの一員としてアーティストをサポートする体験を共有してもらうのです。

先日、ピア・トゥ・ピア配信について話合いがありました。ピア・トゥ・ピアで配信される音楽についてはアーティストに印税が支払われないという大きな問題がありますが、非常に良い側面として、ウィルスのように広がることがあります。友達がある新曲を気に入り、その熱がその友達へと伝染して伝えられていくという広がり方です。そして、それはピア・トゥ・ピアの本当に楽しい面です。ウィルス性マーケティング効果と言えます。基本的に、人々は友達にエネルギーを与え、その友達がまた別の友達に元気を与えるという連鎖です。

このような場は、かつて存在したことのないものです。昔は、名簿を見て何百枚かの封筒を発送しました。今は、ほんの数日もあれば、何万、何十万という人に連絡がとれる時代なのです。ワールド・ミュージックなり、ダンス・ミュージックなりがテーマになっているチャット・ルームへ入って、ボードに書き込みをして音楽を掲示してくることができます。MP3.comはなくなってしまいましたが、Garageband.comなど、外国から、あるいは契約のないアーティストから、音楽を掲示できるサイトがアメリカにはあります。そうやって、ファンを作っていきます。

グスタヴォ: もうひとつ、昔からのやり方もあります。

ツアーがとても効果的です。アメリカ市場の強みのひとつは、極度に多様なことです。米国のどこかしらに、世界のありとあらゆる国から来た人々の個別マーケットが存在しています。そういう同国人のコミュニティーにまず入り込むことが、アーティストにとって次にジャンプする助走の役をしてくれるわけです。

それから、大学があります。若者は新しいものに対してオープンです。そこからアーティスト像が作られることもあります。ツアーをやれば、生の体験が積めるというおまけが付きます。人々を楽しませ、口コミが広がる可能性があります。

ヘリーン: 私もそう思います。付け加えると、アメリカ中で、特に夏は、たくさんのミュージック・フェスティバルが開催され、主催者は本当に様々なタイプの音楽家、世界中の才能を求めて探しまわります。一例をあげれば、ニューヨーク市の“サマー・ステージ・イン・セントラル・パーク”があります。
テッド: “サマー・フェスト・イン・ミルウォーキー”もあります。
アブラモフ: 現地のプロモーターは興味を持ってくれますか?
ヘリーン: ええ、とても。こういったタイプのフェスティバルでは、実際、本当にアーティストを探しています。
アブラモフ: “サウス・バイ・サウスウェスト”のようなイベントも・・・・

音楽フェスティバルへの参加はチャンス

ヘリーン: このようなフェスティバルに参加することは…特にニューヨークやロサンゼルスのような様々なコミュニティーが集まっている大都市で開催されるものは、意味があると思います。コミュニティーは普通、ニューヨークのブラジル人コミュニティーなどは必ずブラジル人アーティストをサポートします。米国内の外国人コミュニティーにアプローチして、あなたのアーティストのファンを作ることができるかもしれません。
テッド: それに、外国からの転勤者社会というのもかなり大きいですよ。転勤者社会のつながりを利用するのも良い手でしょう。
アブラモフ: ウェスト・コーストとイースト・コーストでは、どちらの方がツアーをしやすいでしょう?それとも、あまり違わないですか?
テッド: 暖かさが違います(笑)。
アブラモフ: 違いはそれだけ?
テッド: 西海岸と東海岸は、どっちもどっちなんです。西海岸は暖かいけれど、都市と都市が離れている。東海岸だったら、ボストン、ニューへイヴン、ハートフォード、フィラデルフィア、ワシントンなどを回れます。ワーナー時代、私はそのマーケットを担当していたんです。回ろうと思えば、半径600マイル以内で15 都市ぐらいは回れます。それを西海岸でやろうとすると何千マイルも旅しなくてはなりません。
アブラモフ: 現地のプロモーターですが、彼らは、アーティストをブッキングするのに、母国での実績から判断するのですか?それともアメリカでの実績を見るのですか?
シェリル: 当然、実績があれば有利でしょう。
アブラモフ: でも、必要というわけではない?

各地の小さなクラブが独自に音楽を探す

シェリル: どこにでも必ず新しい音楽を探している小さなクラブがあるのです。
アブラモフ: 彼らのドアを叩くということですね?
シェリル: そうです。報酬が出るとは限りませんよ。ですが、必ず露出できるのです。
アブラモフ: アーティストにとってとても大事な経験にもなりますね。
シェリル: 各都市には、クラブやそこで欲しがっている新しい音楽の、それぞれ独自の流れみたいなものがあるようです。サンフランシスコやロサンゼルスなども、ある種の出版物があります。特にサンフランシスコは、新人バンドの記事の載らないものはひとつもないほどです。
グスタヴォ: 私はマイアミに住んでいますが、あらゆる種類の新しいものが始まるところで、それは、特に異文化コミュニティーが発祥源になります。バチャータは今、流行っているダンス音楽で、いろいろなところで火がついたのですが、クラブで大きくなったのです。そもそもドミニカ共和国で始まり、ニューヨークとマイアミのクラブで流行り始めました。今、おもしろい、ますます成長しそうな音楽スタイルです。あちこちで聞かれるようになってきました。
ローラ: アメリカン・アイドルを忘れないでね(笑)。

見てください。どこでもこういうことが起きています。ひとつの現象です。

テッド: フェスティバルですが、“サウス・バイ・サウスウェスト”の話が出ましたが、マイアミでまもなく“ウィンター・ミュージック・カンファランス”が始まります。3月3日から6日までトロントで行われる“カナディアン・ミュージック・ウィーク”はなかなかすごいイベントです。私には、1年の行事のうち最もうれしいものの一つです。

ニューヨークの“プラグ・イン・カンファランス”は7月で、どちらかというとニューメディア関係の集まりですが、音楽カンファランスとしても強力です。会場の皆さんは、ドイツの“ポップコム”のことはよくご存知と思います。そういった場所には、同業者に差をつけるために次の売り物を探している人がたくさん集まってきます。そういう人たちの前に皆さんのアーティストを出すチャンスはいろいろあります。

メジャー、インディーズのメリット、デメリット

アブラモフ: レコード会社を探す時に、メジャーに売込みに行くことの良い点、悪い点は何でしょう?
テッド: 誘導尋問だ。全く…パネルに出るといつも心配になるんですよ。後で会社から電話がかかってきて、「きみはクビだ」って言われるんじゃないかってね(笑)。私はメジャーにいます。インディペンデント・レーベルを経営したこともあります。その両面から見ると、私が思うに、メジャー・レーベルがアーティストの成長まで待てる時間は残念ながら短くなっています。収益性ということが中心で考えられるからです。

20年前、私がワーナー・ブラザーズにいた頃は、アーティストが成功するまでアルバム2枚、あるいは3枚、あるいは4枚は待っていました。今は、2週間か、3週間か、4週間。圧縮されている。まあ、そこまで極端ではないですけど。メジャー・レーベルでも、アーティストに可能性があれば、自分達の信じるアーティストにはそれなりの時間を掛けるでしょう。

インディーズ・レーベルに行くメリットは、おそらく、もっとちゃんと注意を払ってもらえることです。逆にデメリットは、金銭的なサポートが必要でも、レーベルには期待できないことでしょうね。インディーズは、皆さんにとってパートナーになってくれる相手で、何かを提供してくれる相手ではないということです。

ノラ・ジョーンズは1本のカセットから

メジャー・レーベルは、…ノラ・ジョーンズの話をしましょう。ノラ・ジョーンズは全くいきなり現れたのです。EMIミュージックにメジャーとしての優先権があったわけではありません。ニューヨークのブルーノート・レコードの、経理部のセクレタリーがカセットを持込んだのです。文字通り、社長室のドアをノックしました。ブルース・ランドヴァル社長です。ランチタイムに社長室をノックしてこう言ったそうです。「社長にお会いするのは初めてなのにこんなことを言うのもなんですけど、このカセットは聴いた方が良いと思います」。彼は聴きました。そして言ったそうです。「彼女に電話して、ここへ呼びなさい」。彼女はその日の午後にやって来て、ほんのちょっとだけピアノの前でプレイして見せました。で、どうなったかといえば、後に1300万か1400万枚のアルバム・ヒットという結果です。すごいでしょう。

彼女はスタジオに入り、自分のレコードを録音しました。友達が作った曲でしたが、彼女のために書かれた曲はひとつもありませんでした。30人からの作家がチームを組んで完璧な歌を慎重に作りあげるというようなことではなかったのです。彼女がやったのは、ただただ心を込めてアルバムを録音したということです。それはとても誠実なレコードでした。世界中を感動させました。

グスタヴォ: 我々はいろいろなタイプのアーティストと仕事をしますが、レコード会社ではない立場からの意見を言うと、私は、ワーナーとかEMIを考えている新人アーティストは、こういうメジャーの名前の大きさに惑わされているんじゃないかと思うことがあります。たぶん、ワーナーやソニーと契約すれば、「よし、やった!これで何もかもうまくいく」と思ってしまうのです。でも、実際はそういうわけには行きません。ものすごく広い駐車場の中の、小さな小さな1台の車で終わるかもしれません(笑)。

ある程度名前が出るまでは小さなレーベルにいるというのも方法だと思います。というのは、ある程度の段階になれば、ここにいるような業界人のほうからあなたのところにやって来て契約したいということになり、そうすればもっと成功できます。いったんそうなれば、すべてが順調に進んで行きます。

PBSにとっては、数多くいるアーティストの一組としての存在になり、ある意味、メジャー・レーベルがサポートしているアーティストならば、レコード会社、我々の会社、そして海外のディストリビューターが共同で後援して、大規模なコンサートをやることも可能になるでしょう。とてもインパクトの大きいことになります。もちろん、必ずそういうことをする必要があるというわけではありません。

自主レーベルが思わぬ資金源に

わが局が仕事をしたアーティストのうち、ほとんど一夜にして億万長者になったような最もビッグなアーティストの何人かは、自分のレーベルを持っていました。非常に小さな会社でしたが、資金をうまく調達できたのです。私はヤニーと仕事をしたのですが、当初、彼にはあまりお金がありませんでしたし、ジョン・テッシュは、結果を期待できる大規模コンサートを行うために、自分の家を抵当に入れたのですよ。

ジョン・テッシュは、画的にはあまりぱっとしない人でしたが、Entertainment Toniteで、「私はヤニーのようになりたいんです」。と発言したので、私は彼に言いました。「では、あなたは80万ドルぐらい用意して、すごいところで大規模なコンサートをしなくては」。すると彼は、「OK」と言って、銀行へお金を借りに行って、そのわずか6ヶ月後には自分のレーベルの50%の権利を、なんと、800万ドルでポリグラムに売却したのです。こんなすごい話が時に起こるんですよ。

シェリル: 私からもうひとつお話しておきたいことは、もしも、あなたが全くの新人で、自国でも実績がない場合は、業界人が多数見に来る新人発掘のためのコンテストがたくさんあるということです。ヘレンはジェーン・マンハイトという人と仕事をしたことがありますが、彼女はセロニアス・モンク・インスティテュートで発掘されたアーティストです。これも、レコードデビューに近付くひとつの方法だと思います。

情熱、意欲、焦点、そしてオリジナリティー

テッド: 今日の話は、4つのポイントに集約できそうですね。情熱、意欲、焦点、そしてオリジナリティーです。本当に自分自身のやっている音楽を信じていれば、私の経験では、自分の聴衆を獲得できないアーティストはほとんどいません。

カンヌに着いたときに、数年前に一緒に仕事をしたあるアーティストからEメールが届きました。今、クイーン・メリー号の船上で就航記念コンサートに出演していて、彼は僕のお土産に船のバス・ローブをちょっと失敬した…と言ってきましたよ(笑)。

アブラモフ: ヘリーンさん、PRエージェントは、アーティストをアメリカ上陸させるためにどのようなことが出来るのでしょうか。
ヘリーン: 私たち、PR(パブリック・リレーションズ)エージェンシーというのは、アメリカでは、アーティストとレコード会社やメディアとの仲介役で、鎖の中のとても大事な輪のひとつみたいなものです。レコードがあれば、メディアへ確実にレコードを送り、論評してもらうこと。アーティスト紹介のショウケース、コンサート、パフォーマンスなどが行われるときは、どんなイベントでも、メディア関係者に来てもらうこと、などです。ビデオや見せる資料があれば、テレビ局には必ず全部届けます。

私たちの仕事はこういうことです。インタビューなどで必要な場合は、通訳を探すお手伝いもします。以上が、責任をもって行うPRエージェントとしての仕事です。あなたも、そういった一連の鎖の中に入り、本当に重要な輪のひとつになるというのが、この世界の仕事だろうと思います。

アブラモフ: 契約先を探すということはしないのですか?
ヘリーン: 契約先を探すことはしません。ですが、レコード会社の人たちとの?がりはありますので、私があるアーティストにほれ込んだ時に、レコード会社の人やA&Rの人たちに特に電話をして、ギグやパフォーマンスの場所に来てもらったことがあります。

あるいは、自主制作CD、つまり自分のレーベルのCDを持ち込む人がいて、もし私が本当に心からすばらしいと思い、そのアーティストにほれ込めば、私ならそれをレコード・レーベルに送ります。ですが、レコード会社を探してあげることは、通常、我々の仕事の範疇ではありません。

シェリル: 私からもうひとつお話しておきたいことは、もしも、あなたが全くの新人で、自国でも実績がない場合は、業界人が多数見に来る新人発掘のためのコンテストがたくさんあるということです。ヘレンはジェーン・マンハイトという人と仕事をしたことがありますが、彼女はセロニアス・モンク・インスティテュートで発掘されたアーティストです。これも、レコードデビューに近付くひとつの方法だと思います。
テッド: そうですか?我々レコード会社も、PRを過小評価していたとは思いませんよ。彼女と知り合ってもう20年になりますが、実際に会うことはめったになくて…
ポインター・シスターズのときに一緒でしたね。でも、確かに、我々にとってもPRはいつもとても重要な位置を占めていました。アーティストのイメージを決める、トーンを決める、っていうことですから。ハワード・ディーン大統領候補をごらんなさい(笑)。

会場からの質問

とても興味深いケース

アブラモフ: OK。では、そろそろ質問を受付けたいと思います。何かご質問は?
男性:

どうも、ありがとう。今日、ここに来て、皆さんに話を聞いてもらえて本当にうれしいです。僕のケースは、アーティストとしてとても興味深いケースだと思うので。

僕がMIDEMに来たのは、絶望感からとも言えるのです。僕はアーティストで、100曲以上の曲を書いています。2年ぐらい前に、最高のレコーディングをしようと決心しました。僕の才能を信じてくれた友達を通じてお金を集め、本当に良いスタジオに行き、レコーディングを始めました。

僕は、ほとんど外国暮らしです。オーストラリア、日本、あちこち行きました。イギリス、アメリカは長いです。本当に良いものを作りたいと決意していました。ミキシングの時になりました。オーストラリアのプロデューサーに僕のアルバム制作を手伝ってもらっていました。僕は、歌詞は英語で書くし、曲は今主流の音楽です。

それはマイアミのセバスチャンでした。僕がとてもいいと思っているミキシング・エンジニアの一人のトム・ロード・アルギーに、アルバムのミキシングを頼みたいと思いました。でも、僕は無名です。だから、トムに手紙を書きました。マネジャーのシルヴィアから返事が来て、ミスター・アルギーはメジャー・レーベルの仕事しかしないと言いました。僕はインディペンデントだし、アルバム・プロデュースは自分でやっていたからだめだったのです。

でも、僕はあきらめないで、彼を知っている人を見つけ出し、「アレックスの曲をお願いだから聴いてみて」と、その人からなんとか頼み込んでもらいました。トムは言いました。「僕はアーティストと直接交渉しないことにしている。レーベルの人と交渉して、その人がアーティストを連れてくる。でも、僕がもし本当に気に入れば、彼のためにミキシングしてあげる」。それで僕はすごく喜んで、僕の音を送りました。その後、トム・ロード・アルギーから電話がきて、僕が暇だったらちょっと遊びに来ないかと言われました。

飛行機で飛んで行きました。彼は、「アレックス…」と言いました。…ちょっと長い話だけど、今日のことに関係ある話だから、本当にみんなのためにも良い話だと思うので、もし良かったら。

アブラモフ: ええ、もちろん良いですよ。
男性: 彼はランチに連れて行ってくれて、「君のCDをもらった。どうせまた、駄物だろうと思って、1週間ぐらいは聴かなかったんだ。あるとき、仕事帰りに聴いてみて、君のオーケストラものが気に入った」。ロックなのですが、チェロとか、オーケストラを使った曲があったのです。「あれをミキシングしてあげよう。だけど、報酬の額は聞かないでくれ。君が出せるような額ではないからね」。で、僕は大喜びです。「僕が1曲やってあげるから、君はメジャーと契約した方がいい」。彼は僕にそう言ったのです。僕がそう言ったのではなく。僕にはそうなるかどうかわからないけど、自分自身を信じています。

彼は1曲僕のためにミキシングしてくれて、それは良かった。クリスマスの前にまた電話をくれて、1年くらい前でしたが、僕に聞くんです。「君はクリスマス・プレゼントが欲しくない?」。僕はどういう意味か尋ねました。彼は、「君は僕にもう1曲ミキシングして欲しいって思わない?つまり、2曲やってあげるから、それを持って売込んで、みんなに僕がミキシングしたって言って回るといいよ。売込み先に僕の電話番号を教えて僕の方に返事を貰うようにするといい。そうしたら、僕から君の音楽のことを彼らに説明するよ」。それで僕はやった、と思いました。だって、これでマッチボックス・トゥエンティーとかアヴリル・ラヴィーンとかと同じになれるわけですから。

それで僕はOKと言って、音楽業界で成功するには僕はどうしたら良いのかを聞きました。アメリカは気に入っているし、どこでもちゃんと暮らせる。自分をアジア人とはあまり意識していないんです。なんというか、世界人みたいに思っています。

それでロドンドビーチというところに引越しました。友達と一緒に住めるところを見つけて、売込みに歩きました。全部回りましたよ。でも、どこへ行っても4 時間も待たされた。で、僕は、これはきつい、これがアメリカ式なんだということを悟りました。さんざん待たされてやっと誰か来てくれたと思っても…。会社によっては誰も来てくれなくて、僕は諦めて帰ることもありました。でも、誰かが僕の話を聞きに出て来てくれても、結局は、弁護士がいなくては僕の音楽を扱うことはできないと言われました。

だから弁護士を探しました。ハインバーグ・ラーナーという法律事務所です。絶対にやろうと思っていたから、そうしました。僕は音楽で成功したいんです。マイケル・ディロヴァーチュというのが僕の担当弁護士で、今後はすべて彼を通すように言われました。今の僕は、弁護士の腕次第という状態なわけです。彼が僕自身ほど一生懸命やってくれないなら、誰にも僕の音楽を聞いてもらえないことになる。彼にはたくさんCDを渡して、後は電話を待つしかないのです。僕が自分でやった方がよっぽど効果的ではないかと思ったりします。

でも、僕がレコード会社へ行っても誰も会ってくれない。僕は、自分の音楽のジャンルを分かっていないとトムは言って、僕の音楽はAORだと言います。
AORは、今は全然聞かれませんが、アダルト・オリエンテッド・ミュージックです。で、僕は、AORということで売込みました。でも、大して効果がなさそうなので、バンドを作ることにしました。レコーディングの時はバンドなしでした。オーストラリア人のドラマーを見つけて、毎日死ぬほど練習しましたよ。ある時、ハードロック関係の人たちに声をかけられました。マレーシアのクアラルンプールの“ハードロックカフェ”で演奏しないか、という話でした。店では木曜か日曜の晩の演奏という看板を出しましたが、金曜と土曜の晩に変わりました。その後、僕たちは、ハードロックカフェ・アジア・ツアーに初のアジア系バンドとして出演してみないかと誘われたのです。

3ヶ月間、ツアーに出ました。北京、上海、香港、マニラへ行きました。自分のバンドで、どこでもプレイしました。へとへとでした。アルバムを出す時期がきたと思って、マレーシアにあるポニーキャニオンという日本の会社と契約しました。僕は、彼らとの契約はマレーシア地域だけということで譲りませんでした。他の地域も、ポニーキャニオンということだと、どこも僕に興味を示さなくなりますから。だから、僕はフリーです。でも、どこへ行ったら良いのか分からないんです。

どうしたら良いですか?PR会社?どこでも構わず行くべきですか?僕はどこに住んでも構わないんです。もしそれが良いというなら、アラスカに20年住むことだってできます。

僕は、自分で曲を創っています。ある時、マレーシア・ポニーキャニオンの人がMIDEMのことを教えてくれました。MIDEMのことはそれまで知りませんでしたが、業界の人たちに会えると聞きました。それで、こちらへ来てから、毎日、箱にCDを一杯詰め込んで持ち歩いています。ジャパン・ブースやその他あちこち。日本は、会社名は言いませんが、「君は“ガイジン”だから…つまり、外国人という意味ですが…“ガイジン”向けのマーケットがある、と言うんです。僕はアジア人ですが、アジア向けというのではないと思います。どうしたら良いと思いますか?

アブラモフ: テッドさん、いかがですか?
テッド: 今はロスに住んでいるのですか?
男性: はい、アパートがまだあります。
テッド: OK。ロスにはいつ帰りますか?
男性: 3月の上旬です。
テッド: 私の会社へ寄ってみてください。私はA&Rではありませんが、あなたの音楽を聴かせてください。僕が試聴する時の決めごとは、それがものすごく良かったら、ふれまわる。もしひどかったら、誰にも言わない(笑)。
男性: それはいい。
テッド: 誰でもそうしています。私に聴かせてください。絶対に悪口は言わないって約束しますよ。でも、すごいと思ったら、みんなに言って回ります。ただ、粘り強くやらないとだめですよ。私がいろいろなレーベルに紹介して回ったアーティストはたくさんいますが、大成功した人はいません。心から共感してくれる一人の人間を見つけなさい。簡単に聞こえるでしょうけれど。あなたには確かに熱意が感じられます。本当に良いものであれば、必ずマーケットが見つかりますよ。ところで、LAではよく演奏活動をしていましたか?
男性: いいえ、全くしたことはありません。サンセット・ビーチとかでやらないかと言われたことはあります。小さいバーなどでやってみたいと思うところはありますが、いくつかのギグができる準備ができてからでないと行く気はしません。以前よりも安いですから。もうひとつ、6年前から僕はビデオが必要だと気付いていて、レーベルに売込むのに、すぐに使えるビデオを2本用意していたという、数少ないアーティストの一人でした。1本はアニメーションです。僕は、異常なくらい燃えています。日本語の勉強もしてしゃべれるようになったし、ひらがなだって書けます。昨日と今日歩いてみて、ちょっと不満なんです。君は“ガイジン”だ、と言われるものですから。
テッド: どんな会社に売込みましたか?通してもらったときはどんなリアクションがありましたか?その後の返事はどうでしたか?
男性: ええと、僕は、嘘はつかない。マレーシア出身ですから。でも、ほとんど外国暮らしです。マレーシアは、人口が2300万人ぐらいで、英語の音楽を聴く人はとても少ない。でも、何より、オーストラリアでも他の国でも、みんなが僕にアメリカで売出すべきだと言ってくれたのです。イギリスやアメリカでやれ、ってね。自分でもそうかなと思って、なんでもトライして、例えばハウツー本を読んだり…何冊も買って読みましたよ。アンダーラインを引いたりして…。でも、今は、途方に暮れている。
テッド: ロスへ帰ったら、ぜひ、私の会社へ寄ってください。
男性: はい、会いに行きます。CDを持っているので、渡したいのですが。
ローラ: あなたは本当に情熱を持って音楽をやろうという人の一人ですね。ロサンジェルスで私に会いたいと思ったら、ぜひあなたのマテリアルを持ってきてください。私も見て差し上げましょう。
男性: ありがとうございます。そう言ってくださってうれしいです。ありがとう。
アブラモフ: テッドさん、デモを送る時はA&R宛が良いですか?それとも国際部?
テッド: A&Rです。国際部というのは、すでにそこで持っている音楽をどのように露出するかを考えるところです。それと、ぴったりの支持層を見つけることです。

マネジメントの会社にいた頃、シェリルに出会った頃ですが、サンディー・ギャロンの担当でした。ポール・シェイファーというアーティストのマネジメントをしていました。デヴィッド・レターマン・ショウを見たことがある人はいるでしょうか?

私は、いろいろなレコード会社の社長に電話して、ポール・シェイファーの契約を決めるように言われていました。このポール・シェイファーっていうアーティストを知ったら、これがどれほど難しいことか皆さんにも分かると思います。で、彼を売込むには、PRのヘッドに持って行くのが良いと提案してみました。当時、ワーナー・ブラザーズのバーガミ氏、ドリームワークスのジョニー・バービス氏など。というのは、このアーティストにはイメージ作りが必要だったからです。

皆さんは、誰がそのアーティストを最も良く受けとめてくれるかということを考えなくてはなりません。メールを所構わず送るだけではだめです。それから、繰り返しますが、焦点が定まっていること、それが課題でしょう。

アブラモフ: 他にご質問は?
女性: 今のアーティストの方、名前は忘れてしまいましたが。そう、あなたのことです。ハーイ。あなたの気持ちは良くわかります。外国人だと、どこへ行っても多かれ少なかれそういうことを経験します。私はトルコ出身で、ジュネーブ育ち、今はチューリッヒとニューヨークに住んでいます。3月、4月はニューヨークに行きます。ここにいらっしゃる方でニューヨークに居る方がいたら、ぜひ、私に会ってください。私は、世界中に人脈を作りたいと思っているのです。
ヘリーン: あなたはどんな音楽をやっているんですか?
女性: ロックです。基本的に詞を大事にしています。ハードロックではありませんが、ちょっとへヴィーなものもあります。ギターとコンピュータを使います。
ヘリーン: ロックは私の専門ではありませんけど、ニューヨークに居ますので喜んであなたにお会いしますよ。
女性: うれしいです。後で伺います。話を聞いて下さい(笑)。
アブラモフ: 他にご質問は?よろしいでしょうか?OK、では皆様、どうもありがとうございました。パネリストの皆さんに大きな拍手を。ありがとうございました。

イベント

2004年、MPAは新しい試みを二つ実施しました。一つは「Japanimation Music Promotion」です。海外でも非常に高い評価を受けている日本のアニメやゲームで利用されている楽曲を、その映像と共に紹介するものです。スタンドには専用モニターと各社からのフライヤーを設置し、連日PRしました。

もう一つは、日本のアーティストの生演奏に触れてもらうことでした。スタンドの一角にステージを設け、初日と2日目の夕方にLive Showcaseを開催、Spanish Connectionと木下伸市が出演しました。ステージ前はスタンド来訪者だけでなく、通りがかりの人たちなどであっという間に黒山の人だかりとなりました。スタンドではShowcaseに合わせて鏡開きの日本酒が振る舞われました。